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【そう。母は私が嫌いだった。】自己開示シリーズ

【そう。母は私が嫌いだった。】

 

母は生まれた私を見て「こんなクチャクチャな子は要らない!どっかへ連れて行って!」と言ったそうです。

私が中学生になった時、母は私の鼻を触って「この頃ちょっとましになったね」と言ったのですが、その時はこの意味が分かりませんでした。

 

しかし、それから間もなく母が他界しました。

母が他界後、親戚の世話好きのおばさんがよく訪ねてくれるようになり、その出産時の言葉をききました。

そこに感情はありませんでした。その言葉に抵抗できませんでした。

 

そして、インストラクター研修でこの事実と向き合いました。

私の自己主張できない!肯定感が低い原点か!と悲しさに何日も涙と過ごしました。

私は赤ちゃんだった。

我慢するしか方法を知らなかったのです。

しかし、その忍耐強さが今までの私を支えてくれました。

職場も家庭もストレスだらけ。辞めたかったし、離婚したかったし逃げて一人暮らししたかった。

私は一人ぼっちでした。

誰にも相談する人がいない!じゃなく相談してはいけない!することが恥だと思っていました。

そして常に人の目が気になってびくびくしていました。

 

これはあの赤ちゃんの私が体験した苦しいけど我慢した!あの経験から得た人生の教訓だったと気付きました。

 

私の上は男ばかりなので、母はさぞかし女の子に期待が膨れていたと思います。

でも自分の想像した子とは違っていたのでしょう。

そして、小さな母の中にいる悪魔ちゃんが言わせた言葉が、「こんなクチャクチャな子は要らない!どっかへ連れて行って!」

だった のもしれません。

母は7人産んで既に4人をあの世に見送っていました。

私が最後の子ということも分かっていたかもしれません。

きっと母親も辛かったと思います。

母親と小さい時過ごした記憶もあまりありませんが、親戚の家から帰る時寝た振りをして母の背中におわれた時の暖かさが蘇ってきました。懐かしいです。

母親を愛おしいと思えます。

あの母を胸に抱きたい。

おかあさん一杯苦労かけたね。

一杯心配かけたね。

海浜学校の時白いシャツがいると泣き、夜の街に買い物に行かせたね。

ごめんなさい。

わがまま一杯聞いてくれたね。

そんな母親が

“母は私が嫌いだった”と言ってごめんなさい。

私が中学生になった時、母は私の鼻を触って「この頃ちょっとましになったね」って言ってくれた時おかあさんあなたのあの優しい眼差しを思い出しました。

その時に嬉しい幸せ感を感じていたことも思い出しました。

そう。そして私は母の愛情の元で育ちました。

今実感できます。

壮大な母親に感謝します。

お母さん産んで育ててくれてありがとう。

私はもう大丈夫。

自分を見ることが出来るようになってきました。

もし、自己理解が必要なかたはお申込みホームへお進みくださいm(__)m

感謝と共に💗濱崎福美